2017年の7月のことでした。

ちょうど友達と家族で小旅行に行っていた時、どうも体調がおかしかったのがきっかけでした。しかし、その時は妊娠しているとは全く気が付かずにプールでガシガシ泳いで、お酒も飲んでしまっていました。

その旅行から帰宅後、妊娠が判明。全く計画していなかったので、驚いた反面3人目が欲しかったわたし達は純粋に喜びました。

この記録は、妊娠が発覚してから流産して完全に治療が終わるまでの話です。

生々しい表現など出てきますので、苦手な方はこれ以下を読み進めないようにお願いいたします。

  1. 妊娠発覚
  2. アメリカで妊娠発覚、さてどうする?
  3. 気にせず過ごしてしまった妊娠初期
  4. 絶対安静にすべきだった時期
  5. 突然の大量出血と激しい腹痛
  6. アメリカの保険の難しさ
  7. 切迫流産に対してできること
  8. 海でのお別れ
  9. 初めての産婦人科へ
  10. 空っぽのおなか 天使ママになった日
  11. 週1回の血液検査〜日常生活へ

妊娠発覚

ブルックリンの自宅から、車で北へ2時間ほどの小さな街へ、お友達と共に1泊2日の小旅行へ出かけたわたし達。

普段、わたしは車や飛行機の移動の時はあまり眠れません。
外の景色やおしゃべりを楽しんで過ごすのが好きな方です。

しかし、この時、乗った瞬間から強い睡魔に襲われてあっという間に眠りに落ちてしまったのです。
自分で驚いたことをよく覚えています。

この旅の間中、しょっちゅう強い眠気のためにうとうとしてしまっていました。
途中のサービスエリアのフードコートでこっくりこっくり、ホテルについてみんなの身支度を待っている間にもウトウト、子供達が部屋でバイオリンの練習しててもグースカ(これはいつものこと)。
人生後にも先にも友達と一緒にいてあんなに眠りこけたのは初めてのことでした。

この時は、なんか疲れてるのかな?くらいにしか思わず、気にしないでホテルの気持ちよさそうなプールに飛び込んで子供達と遊んで、夜は良さげなレストランで普段あまり飲まないカクテルなんか頼んでしまったり。
自分の中で全く予兆も何も感じていませんでした。

旅行から帰ってきてしばらくして、まだ眠い、だるい状態が続いていてようやく3日ほど経ってから「もしや?」と妊娠検査薬をようやく取り出してきました。
ここでやっと自分が妊娠していることに気が付いたのです。

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アメリカで妊娠発覚、さてどうする?

3人目にして、初めてアメリカ国内で妊娠となり、さてどうしたらいいのやら?全く知識のなかったわたしは、とりあえず調べることから始めました。

そうすると出てくるのは、アメリカと日本の産婦人科のかかり方の大きな違い。2人は日本で妊娠・出産だったので、情報はいっぱいありました。

いろいろ調べていてまず、初診のかかり方。

こちらの初診はとても遅い!なんと9週が初めての診察予約。それより前に行こうとしても、よほどのことがない限り見てくれないそうです。

↑というようなことが、どこの情報サイトやブログの体験談などにあり、わたしの頭の中ではアメリカはそういうものなんだなと思って、9週まで待つことにしました。

あとで思えば、最初の診察の予約が9週というだけで、早く行けばよかったなと後悔しました。

日本では妊娠が分かって5週の時に行ったことをよく覚えているので、なかなか長いなとびっくりしました。

気にせず過ごしてしまった妊娠初期

3人目ということもあり、それに加えて子供は当時6歳と8歳。小学生とはいえ、まだ色々手のかかる時期でした。ニューヨークに住んでいると、車移動ではなく電車と徒歩で移動で、地下鉄はエスカレーターも少なく階段が急なところが多いです。子供2人連れて、日常生活を送るのはなかなかの重労働だったようです。

日々の買い物もありますから、食料品の買い出しなどをした時は大変です。子供達は少しお兄ちゃんお姉ちゃんになったとはいえ、重い荷物を持って地下鉄の移動などは無理でした。なので、結局はわたしが両手いっぱいに買い物袋を下げて、子供の手を引きながら帰ってくる日々。

おなかの赤ちゃんに申し訳なかったんですが、気にしている余裕がありませんでした。

6週、7週とそんな感じで過ごして、そろそろ病院に予約の電話をしようかなと思っていた頃、ちょうど週末に主人が休みがありそうだから、郊外に泊まりがけで海水浴に行こうという話になりました。もちろんその時は自分は順調だと思っていたし、子供達もせっかくの夏休みなので連れて行ってあげたかったので、大喜びで計画を始めました。

絶対安静にすべきだった時期

その数日後、旅行に出発するのですが、出発の前の日辺りから突然出血が始まってしまいます。そして少しずつ強くなる腹痛。まさか自分が流産なんて、と「きっと今だけ」と思ってしまったのが間違いでした。

当時40歳。その時は計画的に妊娠しようなど思っていなかったし、授かったら授かったで産んで育てようというスタンスだったわたし達。40歳の自然妊娠率が低いこと、流産率が高いことなんて全く知りませんでした。

1年間の妊娠率は加齢とともに低下。20~24歳では88%だったのが、25歳~29歳で78%、30~34歳で63%となり、45~49歳では5%にまで下がってしまいます。

seemLab https://seem.life/lab/375

Airbnbで見つけて予約した可愛い一軒家に泊まる楽しみの方が大きかったこと、子供達もこの年は日本に帰れず(ちょうど永住権の最終面接直前でした)
せめてもの夏休みの思い出を作ってあげたかったので、「まぁ、2泊3日のんびり過ごすだけだし大丈夫でしょ」と一抹の不安をかき消すように心配する主人に「大丈夫」を繰り返していたわたしでした。

突然の大量出血と激しい腹痛

旅行に出発して数時間、車の助手席に座っていたわたしは強い違和感を感じ始めました。

車の揺れに比例して、下腹部の痛みが増していく…。
はじめは大丈夫だと思っていたのが、次第に言葉を失っていき、最後には横にならずにはいられなくなりました。

そして膣から出血している感覚。「これはおかしい」さすがのわたしも焦り始めました。

しかし、すでに車で3時間、海も間近な可愛らしい街に到着していました。
子供達はわたしの苦しそうな様子をよそに大はしゃぎ。
ここでわたしも無理しなければいいものを、荷物を一緒に運んだり、家の中を探索したり…

数時間後にはカウチから動けなくなっていました。

夕食には主人がカレーライスを作ってくれて、その間わたしはひたすら横になって安静。
しかしその間もドクドクと血が出てくる感覚。
手持ちのナプキンでは足りず、申し訳ないけど主人に生理用ナプキンを買ってきてくれるように頼みました。

あまり周りに店がない中、探して買ってきてくれたのは。
なんとタンポン!!

流石にちょっとブチ切れちゃったわたし。まさかこの状況でタンポンを買ってくるとは。

2回目は大丈夫でした。しかし、生理用ナプキンでおさまらない出血量。
痛みもどんどん強くなっていきます。
これはなんとなくだけど、子供達を出産したときの感覚。
つまり陣痛に似ているな、と気付きました。

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アメリカの保険の難しさ

ここで主人がやっと「病院に電話しよう」と言って携帯片手に電話番号を調べ始めました。

実はどこを受診するかもまだ決めていなかったわたし達。まずは自分の保険で行ける病院から探さなくてはいけなかったのです。

日本の国民健康保険とは違って、アメリカは個人個人が選んだ民間の保険会社を契約しています。
これがとても高い!本当に高くて、これを毎月払うんだったら保険に入らず都度払いにした方がいいのでは、と思ってしまうほどです。

確かに結婚当初はお金がもったいないと保険に入らず、風邪程度だったら$100ほどで病院で診てもらえるのでそうしていました。
わたしが顎を強打して割って縫った時も、お世話になった中国系の整形外科のお医者さんは「いくら払える?」と聞いてきたので「$100なら今持ってる」と答えると「じゃ、$100ね」といった感じでした。

さすがに家族ができて子供もいて、無保険も怖いなと思ったので(オバマケアの制度もあって)United HealthCareのコミュニティプランというものに加入していました。
これは実質ほぼ無料の保険ですが、使える病院が非常に限定されていて好きなところを選ぶのは厳しいプランでした。
いわゆるメディケイトというものです。

話は戻ります。

まず主人がかけてくれたのは、友達が紹介してくれたニューヨークでは数少ない日本人の産婦人科。
日本人のお友達の何人かはこちらで出産していて、評判もまぁ良かったのでとりあえずダメもとで電話してみました。
結果、わたしの保険は使えず断念。

次にかけたのは、こちらもやはり別の友達が紹介してくれた病院。こちらは大きな総合病院でわたしは全く知りませんでした。電話で聞くととりあえず大丈夫ということでした。

切迫流産に対してできること

その電話口で今の状況を伝えて、どうしたらいいか教えてもらうことに。
その電話口のスタッフが言ったのは「すぐにエマージェンシー(救急)に行くように」ということでした。
今のその状況でこちらに来てもすることは何もないと。
とりあえず出血があるのなら、エマージェンシーで止血してもらえるかもしれないから行きなさいと。

えっ、それって。最初からおなかの赤ちゃん助けるつもりない?
わたし達にはそう聞こえてしまう言い回しでした。

この時点で旅行1日目の夜。
家族で庭でまったり焚火をして楽しんでいました。
この状況が気持ち良くて、絶対に混雑していて数時間待つこと確実なERに行きたくないというのが本音でした。

今でも行かなくて良かったのかどうか、正解がわかりません。

その時は、痛くて痛くて動きたくなかったのです。
その夜、シャワーを浴びた時に、浴槽が真っ赤になるほどの出血。
もう覚悟を決めていました。

海でのお別れ

2日目。

とても晴れて気持ちの良い日でした。
朝は家でのんびり過ごし、子供達のバイオリンを聴きながらウトウトしていました。

昼前になり海水浴に行こうということになり、子供達のテンションもMAXに。
その時に主人は「家でゆっくりしていたらいいよ」と言ってくれました。
が…。

当時6歳と8歳の子供を連れて、夫が遊びながら見れるのかな、という不安が。
たぶん人も多いだろうし、娘は可愛いし。
怖いなと思ってしまいました。

本当は家で安静にしておくべきだと分かっていました。
ですが、おなかの赤ちゃんよりやはり目の前にいる子供達の方が心配な気持ちを抑えられず、一緒についていってしまいました。


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車で10分ほどの距離。もう振動が直に子宮に伝わっているような感覚。
痛みが波のように襲ってきていました。
車を降りてからも歩くことができず、降りてすぐあったベンチに座り込んでしまいす。

そして。

主人が車を置いてわたし達に合流し、浜辺に向かって歩き出したその時。
大きな痛みの波とズルッと何かが出てくる感覚。
それにびっくりして立ち止まりました。

「なんか出た」

固まる主人の表情。
「トイレ行ってくる」と言い残し、すぐそこにあった建物へ向かいました。

かなり後になって思い返して気がついたのですが、手前にあった救護室にどうして行かなかったのか。
大きく赤十字のマークのあった部屋。
トイレより手前にあったのに、そこで処置してもらおうなど微塵にも思いませんでした。

女性は、特に母親とはそういうものなのかもしれないのですが、自分でできることは自分でなんとかしようと思ってしまう生き物なのかもしれません。
それとも、わたしだけでしょうか…。

そしてこの後、取り返しのつかない後悔をすることになるのです。

トイレの個室に入り、確か出た感覚があったとショーツを下ろしかがむけれど、何もない。「あれ?」と思って、便座に座った途端にポシャン!と水面に何か落ちたのが見えました。

ピンクっぽい風船を膨らませたような、楕円形の物体が水に沈んでいました。
あまりの突然の出来事にぽかんとしていたわたし。

頭が追いついていませんでした。
あまりにも予備知識がなく、それが赤ちゃんの袋なんて咄嗟にはわかりませんでした。

ハッとして、「わたしの赤ちゃん」と思って立ち上がったその時。
そのトイレはなんと自動洗浄でした。
ピッ!という音がして、ザーッと赤ちゃんを流していってしまったのです。
立ち上がったそのまま、固まってしまっていたわたし。
何が起こったのか、思考停止してしまいました。

そして数分便座に座ったまま、ボーッとして今起こったことについて一生懸命考えようとしていました。
痛みはスーッと楽になっていました。

ファイアーアイランドのビーチで流れていってしまった我が子。
近くに行くたびに思い出し、胸を痛めています。
あの時掬い上げられなくてごめんね。

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初めての産婦人科へ

翌日。旅行3日目。

痛みが引いてきたわたしは、少しずつ動けるようになってきました。
出血もグンと減りましたが、まだ生理2日目くらいの量は出ていました。

一度帰宅してからと思ったのですが、早い方が良いと思った主人がそのまま病院へ連れて行ってくれました。
車だったのでわたしもその方が楽でした。
病院に連絡すると、1回目は予約いらないのでそのまま来てと言ってくれたのもあります。

まだわたしの中で、あれは子宮内容物で赤ちゃんの袋じゃないんじゃないか。
まだおなかにしがみついているんじゃないだろうかと淡い期待を抱いていました。

病院は大きい総合病院で、事前に電話で聞かないとどこに行ったらいいのか絶対に分からなかったと思います。
産婦人科はさらに分かりづらい入り口でしたが、大きなおなかのお母さんや生まれたてらしき小さい赤ちゃんを連れたパパママがいたので、なんとか判明。
まだ出血が続く中うろうろと探し回るのは辛かったと思います。

産婦人科の待合に着くと順番待ちのボードに名前を書くように言われます。
名前を書いて待っていると割とすぐ呼ばれました。
カウンターのところで今日はどうしたのか聞かれ、妊娠しているのだけれどおそらく流産したかしそうな状況だと伝えました。
確か保険のこと、身分証明書などを渡してナースらしき人が現れ別室に来るように言われました。
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小さな小部屋で最後の生理開始日、今までの出産状況(子供の生年月日、生まれた時の状況、身長体重、異常なことはなかったかなど)、既往症などを問診されました。
そして尿カップを渡され部屋のすぐ外にあるトイレで尿を取るように指示され(ほんの少しで良いとのことでした)、まだ真っ赤な尿でしたが採取してトイレを出ようとドアを開けたらさっきのナースがいてびっくり!
そこで待ってたんかい!とツッコミを入れたくなりましたが、ちゃんと本人の物だと確認するためだと思います。
その場で小さなスポイトでその尿を少し吸い上げ、残りはそのまま捨てました。

小部屋に戻り、妊娠検査薬に先ほどの尿を垂らしてちゃんと妊娠かどうか確認。
もちろんすぐに反応しました。

そして、ナースは今日この場では何もしてあげれない。
出血が酷くて辛ければERに行けば処置してくれる、と。そこで絶望するわたし。

そうか、日本の産婦人科みたいにあれこれ手を尽くして薬をくれたり入院させたりできないんだね、と。
どこに住んでいても、初期の流産は赤ちゃん側の問題だからどうしようにもできないことはよく分かっている。
でもそれでも、何かしてくれてもいいじゃんと悲しくなっていました。

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もう一度主人と子供達の待つ待合に戻され、しばらく待たされました。スタッフの人たちが何やら一生懸命連絡してくれたらしく、「明日のUltra soundの予約に空きがあるから、どうする?入れておく?」と。これは素直に嬉しかったです。

初めてアメリカで来た産婦人科。すでにこの時には赤ちゃんはいなくなっていたのがかなしかった。その姿を一度でも見ておきたかったと今でも思います。

空っぽのおなか 天使ママになった日

翌日、まだ夏休み真っ最中のため、子供達は家にいたので主人にお願いしてわたし1人で病院へ。
まだ出血は続いていましたが、地下鉄で移動しても大丈夫なくらいに回復していました。

まだ少しの希望を持ちつつ…でもおそらくダメだろうなと覚悟はしていました。

昨日入った部屋とは違うところへ案内されました。
産婦人科の待合室とは違って、人があまりいなく閑散とした雰囲気の、でも綺麗なところでした。
時間通りに行くとわたしの名前が呼ばれ、超音波の部屋へ通されました。

部屋の中央にはベッドが置かれ、天井からは大きなモニターが。
検査着を渡されて、奥のカーテンの仕切りの向こうで着替えました。
下着も脱ぐように言われましたが、血が垂れてこないか少し心配でした。
ベッドの下半身の部分にはペーパーが敷かれ、汚れても大丈夫なようにしてくれていて安心しました。

最初に対応してくれたのは若めの女性技師さん。
経膣エコーでおなかの中をみてくれていました。が…。
わたしもモニター画像を一緒に眺めていましたが、技師さんが探し回るように機械を動かしても赤ちゃんの袋らしき映像は見えてきません。

わたしも一応2人を妊娠出産しているので、エコー画像は何度も見ています。
今目の前で映っているこの映像がおかしいことは、わたしでもよく分かります。
なんだかぽっかりとした穴みたいな跡は見える…。
あぁ、あの子はここにいたんだなって。

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彼女は何も言わず一生懸命探してくれてるけど、やっぱり袋は見つからない様子。
わたしも我慢していた涙が止まらなくなって、口を抑えて嗚咽の声を抑えました。

5分くらいでしょうか。
一旦、中止して彼女はそのまま待つようにわたしに言って、部屋を出て行きました。
数分後、2人の女性を引き連れて戻ってきました。
1人の年配らしき人がもう一度おなかの中を見てくれました。

そして、わたしの流産が確定したのです。

もう1人の小綺麗な女性は、わたしにそっと話しかけてきて着替えるように促してくれました。

着替えた後、綺麗なお姉さんに連れられて部屋を出て話しながら別の場所へ向かいました
。今思うと彼女はカウンセラーっぽい雰囲気もありました。
わたしの気持ちを汲んでくれて、優しい言葉で話しかけてくれていました(内容は思い出せないのですが、今回の経緯をゆっくり聞いてくれた)。

「もっと早く来てくれてよかったのに」と悲しそうにしてくれたお姉さん。
その言葉は今でもはっきり覚えてます。
でも早くきても結果は同じだったんじゃないの?というわたしの気持ちもありました。
「次は妊娠分かったら、すぐ来てね」と。

その後は今後のことの説明をしてくれました。
今回は進行形流産で自然に排出されたけど、全ての内容物がきちんと排出されているか調べる、という感じのことを言われました。
週1回、血液検査をして、値が正常になるまで続けますと。
それがきちんと戻って、生理が2〜3回来たら次の妊娠してもいいよということらしいです。

週1回の血液検査〜日常生活へ

その後、数日で出血は治まっていき、1週間ほどゆっくりしてから日常生活へ戻っていきました。

このすぐ後に大事な永住権の面接があったので、気持ちが忙しくしていたのもよかったと思います。
バタバタしているうちに夏が過ぎていきました。

1ヶ月ほどでしょうか。
数値が平常値に戻って、週1回の血液検査は終了。
この病院はみんなとてもナイスな人たちばかりで、わたしの中では大正解のチョイスだったと思います。

この2年後。アメリカで2回目の妊娠をしました。
そのこともまた別記事にまとめていきたいと思いますので、よかったらご覧ください。